英語の論文

今週はとある国際会議向けに論文を執筆.ただし第一著者は自分では無い.まぁ,それについては納得してやっている.というか,第一著者になるべき学生には論文化する意志(というかモチベーション)が無いので,致し方ない.もう卒業する学生に,卒業後にある会議のために論文を書きなさい,というのは,実際モチベートするのが難しい.自分としては,長いこと大学の研究室にいたわけで,研究のクオリティ云々はともかく,その成果を文書化し,世に出すべくトライする,というのは,「そんなのやるの当たり前じゃないの?」という気がするものの,なかなかそういうものでもないらしい.それは,もう数年間見続けている光景でもある.
今回は,詳細な部分は自分には分からないので,本人の日本語のドキュメントを見つつ,メールで聞いたりして執筆.そこでいつも思うこととして,この日本語->英語の翻訳作業はほんとに不毛.まぁ,なんでもそうだと思うんだけど,日本語の方のドキュメント(論文)は日本語での記述に特化している,というか,日本語を駆使して説明をしてるわけで,直接英語にするのが基本的に難しい部分が多い.そこへもってきて,今回のように,詳細を知らない場合だと,日本語から訳すのが難しいから直接新たに英語に書こう,というもの苦労する.まさか想像では書けないわけだから,いちいち不明な部分を聞かないといけない.それも,自分で文章を書けるように,内容がはっきりと掴めないと駄目.
こういう時は,ほんとに損してるなぁ,気分がいつにもましてふつふつと湧いてくる.英語圏ではこんな作業ありえないんだから,我々は無駄な作業に時間を割かれてしまっている分,損してる.
日本語での成果を蓄積しなければいけない,という現実もあるので,論文を先に英語で書こうが翻訳作業が必要なのは同じ事だし,宿命だと思って諦めるしかないんですが.